台湾の歴史を簡単にわかりやすく説明!旅行前に知っておきたい親日事情

みなさん、こんにちは。国際政治学修士の華山です。

みなさんの中には、台湾に旅行に行く方も多いのではないでしょうか。LCCも発達して、簡単に行ける海外として有名ですね。そこで今回は台湾の歴史について分かりやすく解説したいと思います。

先住民時代

台湾には現代も「原住民」「先住民」と呼ばれる民族がいます。アミ族、パイワン族と呼ばれる民族が代表的ですね。

彼らは中国語とは違う言語や、中華民族とは違う文化を持っていました。歴史の教科書に出てくるような感じの民族が台湾にもいたのです。

現在でも彼らの子孫は台湾の花蓮 (ファーリエン)などに住んでいて、台湾総人口の2%を占めています。

1624年からオランダ統治時代

台湾の原住民が主に住んでいた頃は、日中貿易のような東アジアと活発な交流はありませんでした。しかし、1624年にオランダの統治下に入ります。

世界史を習った方なら分かると思いますが、 1600年ぐらいになるとヨーロッパでは大航海時代となり、列強諸国はアジア各地を植民地として獲得していました。その植民地の波は日本のちょっと先の台湾までおよんでいたのです。

 

オランダは台湾のことを「美しい島」という意味の「フォルモサ」といい、台湾の南部を中心に統治していました。

「 赤嵌樓(せきかんろう)」と呼ばれるオランダ統治時代の建物は今でも台南に残っていて、日本人でも観光スポットとして遊びに行けます。

そして、同時期の台湾北部ではスペインの植民地化が始まっていました。こちらも淡水という場所に行けば「紅毛城(こうもうじょう)」という遺跡が残っています。しかし、スペインは、オランダによって追い出されました。

清の統治から日本統治時代

その後、鄭成功(ていせいごう)という人物によってオランダも追い出されて漢民族の統治が始まります。

しかし、この統治も長く持たず、すぐに中国の満州族王朝である清に支配されてしまいます。この時代の台湾は、マラリアやデング熱がひどくて清から「台湾は不毛の地」と呼ばれていました。

その後、清は日本と日清戦争をして負けてしまい、1895年に下関条約によって台湾は日本の統治下に入ります。よく台湾は親日と呼ばれますが、理由はこの日本統治時代にありました。

 

清が見放す程、環境がひどかった台湾にダムや学校などを作り、日本と同じように近代化していきました。 インフラ整備のおかげで台湾が経済的に発展できた面もあります。また、当時は日本の領土であり日本人として台湾の方も育ったので今でもお年寄りは日本語をネイティブとして話せる人もいます。

でも、日本と軋轢がなかったわけではなく、衝突もありました。それがわかるのは「セデックバレ」という映画です。

一方で素敵なこともあって、台湾から日本の甲子園に出場するというようなドラマもあります。よいところも悪いところもあったのがこの時代です。

日本の敗戦から今日の台湾まで

そして、その後1945年に日本は負けてしまい、台湾を手放すことになります。その時に中国大陸から逃げ込んできたのが中国国民党です。

簡単に言うと、当時中国大陸には2つ政党があって1つしか生き残れなかったので、負けた政党が台湾に来たのです。ちなみに、この時に中国大陸から来た人を外省人といい、台湾で生まれ育った人を内省人と言います。

それから台湾独自の国づくりをするというより、蒋介石というリーダーを中心にした独裁政権(途中で蒋介石は死にますが)が1996年まで続きます。

台湾の政府と中国の政府は仲が悪く、冷戦やアメリカや日本との貿易のおかげで台湾は中国より発展していて、この時に乗じて蒋介石は中国大陸の領土を取り返そうと日々目論んでいました。

 

しかし、国際状況の変化もあり中国は力を付けます。台湾と中国本土を比べた時に、中国の方が力が強くなりつつあったため、他の国は中国と国交を結ぶようになったのです。

その結果、台湾の中華民国政府は国際連合を脱退して多くの国と断交するようになりました。

それで今も台湾は日本とも国交がありませんが、経済や文化レベルで深い関わりを持っています。そして、1996年に台湾は民主化されて自由な場所になりました。

その後、経済も半導体を中心に世界一の企業も育ちました。たとえば、シャープを買収したホンハイも台湾企業です。

 

しかしながら、2010年代の経済状況はあまりよくありません。台湾の経済発展には中国の力が必要なのですが、中国に近づくと台湾を統一されてしまう恐れがあるため、安易に近づけないと言うジレンマがあります。

中国にべったり擦り寄って経済を発展させるのか、それともこのまま中国と距離を保って経済が悪い状況のままでいるのか難しい状況に立たされているのが今日の台湾です。

なぜ台湾は親日なのか

「なぜ台湾は親日なのか」というのもよく話題になりますね。代表的な理由はふたつです。ひとつめが日本の統治が優れていていたことです。

日本人と台湾人の間に争いがなかったといえば嘘になりますが、日本はダムや学校、建築物などを造ったことで台湾人の生活の基盤を作りました。当時のアジアでは最先端の技術が手に入ったのですね。

一方で、日本が敗戦してから国民党政府が台湾に逃げ込んできたことも大きな理由です。「犬(日本人)が去って豚(国民党)が来た」と言われるように、日本人はうるさいけどなんだかんだきちんとしてくれます。一方で国民党政府はうるさいけど何もしなかったことの例えです。

中国から逃げてきた国民党政府は、台湾にあった水道を見て驚いたというエピソードも残っています。蛇口を買えばどこでも水が出ると思って壁中に取り付けて、「水が出ない」とクレームを入れたエピソードもあります。

まとめ

今回は台湾の歴史について簡単にご紹介しました。やはり、旅行に行く際にも最低限の知識としてこれぐらいは覚えておきたいところです。

ぜひ、今回の記事を参考にして 旅行に役立ててください。

ちなみにボクはこのあたりの本を読みました。